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唯「それでも、私の妹なんだ」【一,二部】

ライトノベル新刊情報サイト「ラノベ総合案内所」が出来ました.

6: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 17:12:01.30 ID:z1NbjpKpO

  プロローグ


唯「私は……殺人をしたんだ」

 びっちょりとグラスの結露したアイスティーをストローで吸ってから、私は言った。

和「……」

 和ちゃんは私の目をじっと見つめ、しばらく黙っていた。

 長い静寂。

 蝉がじいじいと外で鳴く声が、耳もとでするようだった。

 やがて、和ちゃんは溜め息をつく。

和「冗談じゃないみたいね」

唯「冗談で、こんな話はしないよ」

 私は和ちゃんの目を見つめ返す。

 レンズ越しに、瞳は儚げに揺れていた。
9: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 17:15:37.08 ID:z1NbjpKpO

和「……どうして?」

 からん、とグラスの氷がぶつかった。

唯「復讐……なのかな」

和「復讐?」

 和ちゃんはオウム返しに訊いてきたけれど、

 私はそれには答えない。

 自分でもあの殺人がなんだったのか、よく理解できていなかったから。

和「唯。あなた、いったい何を……?」

唯「分からないんだ。私がどうやって、あの男を殺したのか」

和「……」

唯「それでもあの日、あの男は死んでた……紛れもなく、私の手で」

 和ちゃんは眉をひそめる。

和「唯、どうしちゃったのよ」
15: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 17:19:28.24 ID:z1NbjpKpO

 私は小さく笑う。

唯「狂ったって思う?」

和「正直、ちょっとね」

唯「そっか……でも私は狂ってないよ」

唯「狂っている人ほど自分は正常だって言う……なんて屁理屈は置いといてね」

唯「おかしくなったのは、私たちのいる世界のほう」

 和ちゃんはむきだしの腕をさすった。

 私は続ける。

唯「だって、あの男を私が殺したのは絶対間違いないんだ」

唯「そんな事件は、どうしたって起こり得ないはずなのに」

唯「だから、世界の方がおかしいの」

 和ちゃんは、首をゆらゆらと横に振る。

和「意味が分からないわ……」
17: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 17:23:11.54 ID:z1NbjpKpO

唯「うん、分からないと思う」

唯「自分でもよく分からないんだ」

 私は目を閉じ、すこし呼吸を整えた。

唯「だから、和ちゃんに解明してほしいんだよね」

唯「私がどうやってあの男を殺したのかを」

和「……そのために、いきなり呼んだの?」

 あきれ顔をして、和ちゃんはふだんの気配を取り戻す。

唯「えへへっ、そんなとこ」

和「そりゃあ私に分かるものなら協力したいけれど」

和「あいにく……唯の話は分からないわ」

唯「今のは、単なる事のあらましだよ」

 私はグラスを持ち、再度舌を湿らせた。
19: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 17:26:37.16 ID:z1NbjpKpO

唯「聞いて、和ちゃん」

唯「そして、ハッキリと教えて」

唯「私はどうやってあの男を殺したのか……」

和「……」

 少し黙ってから、和ちゃんは頷いた。

和「いいわよ。聞かせて頂戴」

和「……難問そうね」

 不敵に笑ってみせる。

 そうして笑う事で、自分をごまかしているのかもしれなかった。

 和ちゃんの中で、正義感が押えこまれているのが私には見える。

唯「……何もかもが終わった日。いや、始まった日かな」

唯「私はきっと、あの男を殺したんだ」
22: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 17:30:23.87 ID:z1NbjpKpO

  (1)


 それは新年度を近くに控えた、ある凍てる夜のこと。

 憂は中学生活最後の思い出に、友人と冬の海浜に出かけていた。

憂『遅くなるだろうから、今晩のご飯は作れないや』

 憂はそう言っていた。そして、言葉に違わず憂の帰りは遅くなっている。

 私は黒い焦げ付きのある鮭を箸でほぐす。

 どうにも今日は、料理がまるで上手くいかなかった。

 食事を終え、食器を洗っている間にも、夜はどんどん深くなる。

 きんと冷えた空気が足元から上がってきて、私はガチガチと歯を鳴らした。

 やがて、時計の針が22時を示す。

 洗った皿を水切り籠にかけ、ため息をついた。

 いくらなんでも遅すぎる。

 私はタオルで手を拭き、携帯をとった。
25: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 17:33:06.34 ID:z1NbjpKpO

 着信履歴から憂の携帯電話にかける。

 奇妙なほど苛立ちながら、コール音を聞く。

 「uiお留守番サービスに接続します」

 そして、予想していた返事。

 かるく舌打ちをして、携帯を閉じる。

唯「女になって帰ってくるつもりかなぁ、もう」

 私はソファに携帯を投げ、テレビをつける。

 毎週見ているドラマがやっていたので、ひとまず炬燵に入って視聴を始める。

唯「……」

 どうも面白くない。

 時期に合わせてか、卒業をテーマにとっているが

 私には少し縁遠い話だから、ひとつも心に響かない。

 憂がこの番組を見たら、どう思うのだろうか。
27: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 17:36:31.11 ID:z1NbjpKpO

唯「……」

 いや。このドラマがつまらないのは、そういう理由じゃない。

 憂が隣にいないから。

 憂がどこか見えない所にいるから、心配で心配で仕方なくて、

 このドラマのレベルじゃ、私の興味を惹けないんだ。

 ぼんやりと番組が終わる。

 私は顔をごしごしこすった。

 いよいよ時計は11時をまわろうとしている。

 警察に電話をしたほうがいいんじゃないか。

 そう思った矢先、携帯が鳴った。

 サブディスプレイには「憂」の文字。

唯「もしもし……」

 なぜか震える指先で通話ボタンを押し、電話口にささやく。
28: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 17:40:21.28 ID:z1NbjpKpO

憂『……お姉ちゃん』

 弱々しい声だった。

唯「憂、今どこ?」

憂『公園。岡本町の公園』

 私は頷くと、すぐさま立ちあがった。

唯「わかった。すぐ迎えに行くからね」

 近くにあったコートを羽織り、鍵も掛けずに飛び出す。

 岡本町の公園は、幼いころ私達がよく遊んだ公園だ。

 家からほど近い位置にあるそこから、憂はなぜわざわざ電話をかけてきたのだろう。

唯「……」

 駆けて、1分。公園に着く。

憂「……」

 すみっこのベンチで、憂はぼうっと空を見ていた。
29: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 17:43:44.44 ID:z1NbjpKpO

唯「憂……」

 私は狭霧を吐きながら憂に近づき、

 月明かりのうつす、その惨憺たる有様にようやく気づいた。

憂「エヘヘ……お姉ちゃん」

 コートのボタンは飛び、乱れた着衣からは白い肌が覗いている。

 そして何より、憂の着ていった真っ白なコートは。

憂「どっちから言ったらいいのかな……その」

憂「わたし……人を殺しちゃった」

 真っ赤な血染みを付けられていた。

唯「……」

 私は黙って憂の手をとり、立ち上がらせた。

 憂の持っていた血まみれの包丁が落ちる。それも無言で拾い上げた。

唯「帰るよ、憂」
31: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 17:46:29.37 ID:z1NbjpKpO

 憂の赤くなった所を隠しながら、

 私はどうにか家まで憂を連れ帰った。

 玄関は鍵をかけ、チェーンでロック。居間のカーテンをぴったりと閉める。

 血のついたコートは、ひとまずハンガーにかけておく。

 炬燵を挟んで向き合って、憂のためにティーパックの紅茶を淹れた。

憂「ありがとう、お姉ちゃん」

 あたたかい紅茶をすする憂を見ていると、首筋に指を押しつけたような痕が付いているのに気付いた。

 痛々しさに胸が苦しくなりつつ、ほんの少し気持ちがやわらぐ。

 やっぱり憂が人を殺したのには、それなりの理由があるようだ。

唯「……ねぇ、憂。なにがあったのか、聞いてもいい?」

憂「うん、いいよ」

 憂は笑顔を見せた。

 人に見せるための笑顔だった。
34: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 17:50:14.04 ID:z1NbjpKpO

憂「えっと、9時ぐらいに海から帰って、40分ぐらいにはこっちの駅に戻ってたんだ」

憂「真っ直ぐ帰ろうと思ったんだけど、途中で男の人に声かけられて」

憂「包丁を持ってて、ついて来ないと殺すって言うから困っちゃって」

憂「そのまま、さっきの公園の奥まで連れていかれたんだ」

 公園には、トイレの裏あたりにやや広い雑木林が設置されている。

 憂の言うのは、恐らくそこのことだろうと思われた。

憂「そしたら今度は、騒いだら殺すって言われて」

憂「服を引きちぎられたんだ。それで」

唯「憂っ、いいよ。もういい」

 私は憂の手を強く握り、話をやめさせた。

唯「もう分かったよ。何があったのか……」

唯「憂がどうして、誰を殺したのか」

憂「……そう?」
36: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 17:53:01.46 ID:z1NbjpKpO

 憂はすこし頬を膨らませた。

唯「……」

 私は一旦炬燵を出て、憂の横に並んで座った。

唯「……よしよし」

憂「んう……」

 抱き着いて、髪を撫でてあげる。

唯「憂はいい子。なんにも間違ってないよ」

唯「うん、よく頑張った。よしよし」

 ぎゅっと抱いて、憂のふるえを抑える。

憂「お姉ちゃあん、怖かったぁ……」

 私の前で無理して笑うくらいなら、笑顔なんて見れなくていい。

唯「たくさん泣いて。お姉ちゃんがついてるから」

唯「そのあとで笑ってくれたらいいから」
38: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 17:57:46.88 ID:z1NbjpKpO

 その晩、憂はたっぷり泣いて、

 汚された体を私に洗われながら、くすぐったそうに笑った。

 翌日、血のついたコートの代わりに、去年使っていた私のをクロゼットから出す。

 コートは紙袋に隠したあと、いらない服と一緒にゴミ袋に入れておく。ゴミの日に出すつもりだ。

憂「ちょっとくたくただね」

唯「いいじゃん、可愛いよ?」

 ギー太を背負い直しながら、私は笑う。

憂「そっかな……エヘ」

てれくさそうに憂は笑うと、私の手をぎゅっと握った。

憂「じゃ、学校いこっか」

 私達は扉を開けた。

 街の様子は昨日と変わらない。

 昨晩、この街で殺人事件があったことはまだ知れていないように感じた。

唯「憂……アレはまだ同じ場所に置いてあるの?」
39: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 18:01:08.00 ID:z1NbjpKpO

憂「……昨日の、あの人?」

唯「うん……」

 憂はゆっくり頷く。

 マフラーにそっと顔を埋めただけのようにも見えた。

 首輪のようにつけられた指の痕は、マフラーに隠されている。

憂「あのまま、だと思う。誰かが見つけてなければ」

唯「そっか……」

 私はほうっと息を吐いた。

 空はどっしり重たげに、灰色の雲を広げている。

唯「……」

 私達は、どうしたらいいんだろう。

 これからどうなっていくんだろう。

 茫漠とした不安を抱えながら、前だけを見つめて公園の前を通り過ぎた。
40: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 18:04:10.58 ID:z1NbjpKpO

 憂と別れてしばらく歩き、学校に到着する。

 教室の様子も特に逼迫したものはない。

 耳をそばだてるが、殺人事件があったという噂は聞こえてこない。

 まだ見つかっていないんだ。

 間違いなく時間の問題だとは思うけれど、それだけで私は安堵する。

 もしできれば、このまま夜になってほしい。

 そうすれば、私は死体を隠しに行ける。

 リスクは大きいけど、そのぶん返ってくるものも大きい。

和「唯、おはよう」

 考えに耽っていた私の肩がふと叩かれた。

 慌てて顔を上げると、浮かない顔で私を覗き込む和ちゃんがいた。

唯「あっ、おはよう……」

和「どうしたの? 元気ないみたいだけど」
41: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 18:07:17.24 ID:z1NbjpKpO

唯「え……」

 私は答えに詰まる。

 和ちゃんとは幼稚園来の付き合いだけれど、真面目な性分でもある。

 生徒会にも入っている彼女が、私のやろうとしていることを見逃すはずもない。

唯「そうかな? 別になんでもないよ」

和「なら良いんだけど……」

 カバンを机に置いて、和ちゃんは窓枠に寄りかかった。

和「あ、そういえば。唯はアレ見た?」

唯「昨日のドラマ? なら見たけど……」

和「違うわ、今朝の話よ。学校途中の道に、点々と血が垂れていたのよ」

和「歩いていたらいつの間にか足元にあって、私もびっくりしたんだけど」

 全身が内側から冷えていく。

唯「血……?」
42: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 18:10:10.74 ID:z1NbjpKpO

 和ちゃんの通学路に血痕が残っていた。

 いったい何の血だろう。

 それはまだ不明だ。

 私は気を強く持った。

唯「見てないなぁ……どんな感じだった?」

和「どうって?」

唯「ホラ、ぼたぼた大量に垂れてたとか、まだ乾いてなくて赤かったとか」

 怯え、焦り、その他の私に似合わない感情を全力で押さえこめて、

 私は和ちゃんから情報を引き出す。

和「ああ……血っていっても、ほんのちょっぴりよ」

和「鼻血が出たみたいに、2メートルくらいの間隔で一滴ずつ」

和「昔遊んでた、あの公園のあたりで途切れていたわね」
43: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 18:14:13.97 ID:z1NbjpKpO

唯「岡本町の……?」

和「そうそう。乾いた血だったけど、ずっと続いているから気になったのよ」

唯「……覚えはないなぁ」

 公園で途切れた血痕。

 乾いているということは、そう新しいものではない。

 誰か怪我をした人が私たちの後にあの道を歩いたとして、

 その数時間で血は完全に乾くだろうか。

 そもそも血の垂れるほどの怪我をした誰かが通るのだろうか。

 可能性は低い、と私は思った。

 順当に考えるならば、その血痕は私たちが残したものだ。

 憂が怪我をしていたのか、包丁の刃から垂れ続けていたのかは分からない。

 ただ確実なのは、血痕が岡本町の公園と私たちの家は

 点線でつながれているということだ。

唯「……」

 心臓が、体の中からどんどんと胸を叩いてくる。
45: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 18:17:20.04 ID:z1NbjpKpO

 幸いなのは、和ちゃんが「血痕が途切れるもう一方の場所」を見ていないこと。

 それさえ見られていなければ、血痕とも死体とも、私たちに結びつけることはできない。

 いかに聡明な和ちゃんであろうともだ。

 けれど、もし他の誰かが血痕に注目し、死体を見つけたり、

 さらに私たちの家に辿りついたりすれば、どんな馬鹿でも私たちを疑う。

唯「あっ、ゴメン和ちゃん。ちょっとトイレ」

和「付き合うわよ?」

唯「いいよぉ、もうすぐホームルーム始まっちゃうし」

 荷物のことは、この際かまっていられない。

 言い訳もあとで考えよう。

唯「出席よろしくね」

 私は教室を出ると、体を低くして昇降口へと駆けだした。
46: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 18:20:48.41 ID:z1NbjpKpO

 裏門から学校を出て、さらに走る。

 息が切れたところに、赤信号。

唯「はあぁ……」

 泡を吹く口角を舐め、往来のないことを確認してから駆け抜けた。

唯「ひぃっ、はぁっ」

 地面を蹴るごとに脚がガクガク震え、限界の訪れを感じ取る。

 けれど、公園はすぐそこだ。

 私は一気に駆け、公園の入り口で止まる。

 足元には、確かに血痕があった。

 いまだ公園は閑散としており、死体に気付いた者はないらしい。

 私は息をととのえながら、血痕をたどって私の家へと歩く。

唯「……」

 もし、仮に。
47: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 18:23:26.48 ID:z1NbjpKpO

 仮にこの血痕が私たちの家の前で途切れていたとして、

 私はどうすればいいんだろうか。

 水を撒き、血痕を消す。

 そんなことをすれば、それこそ何をしているのかと問われかねない。

 道端の掃除など、高校生が平日の朝からやるものでもない。

 暑い時期なら打ち水に紛れることもできるが、今日の最高気温は9度。

 コートも置いてきたことを思い出し、私は耳もとに吹きつける風の冷たさにぞっとした。

唯「どうするの、私……」

 とにかく考えなければ。

 冬空のもとでも怪しまれず、血痕を消す方法を。

唯「……」

 いや、血痕だけに拘る必要はない。

 憂が殺人をしたと知れなければ、それで十分だ。
48: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 18:26:58.79 ID:z1NbjpKpO

 血痕が途切れた。

 ……ように見えたが、次の一滴は私の家の庭に続いていた。

 そこから先は掠れて見えにくくなっているが、

 血を落とした主が玄関のほうへ向かっているさまがどうにか確認できた。

唯「……くっ」

 歯噛みして、私は公園へ駆け戻る。

 あれだけの血痕を消すとなると、膨大な作業量を要する。

 私たちが相手取るのは警察だ。

 血のかけらだって残ってはいけない。

 そして元より、誰にも気付かれず完全に血痕を消すことなど不可能に近い。

 ならば、そもそも事件の存在を明るみに出さなければいいのだ。

 公園へと駆けこむ。

 午前8時半の公園。人の姿は、ない。
50: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 18:30:33.99 ID:z1NbjpKpO

 私は周囲を警戒しつつ、林に飛びこむ。

 すこし歩くと、死体はすぐに見つかった。

唯「……」

 男の背中は、大きく赤く染まっていた。

 この寒さのおかげか、ひどい腐敗や損傷はみられない。

 蛆でもわいていたらどうしようかと思ったが、この分ならば問題なさそうだ。

唯「よし」

 私は辺りを見回し、林の奥に深い生垣があるのを見つけると、

 男の両脇に腕を差し込んで引きずった。

 求められることは、ただ夜中までにこの死体を隠しきることだけ。

 今この明るいうちでは、いかな行動も起こせるものではない。

 しかし暗くなってしまえば、穴を掘って埋めてしまうことも不可能でない。

 とにかく絶対に隠し通すこと。それが何よりの課題だった。

 「お前、何してんだ」
51: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 18:33:37.49 ID:z1NbjpKpO

 心臓がびくりと跳ねた。

唯「あ……」

 ゆっくりと、声のした方へ振り返る。

 見知らぬ若い男が、むすりとした顔で立っていた。

 「おい……オイ。それ、よォ」

 男の視線は、私の足元に落ちている死体に釘づけになっていた。

唯「ち、ちが、違いますっ。私じゃありません!」

 「けど今……それ、隠そうとしてたよな」

唯「それはっ……林の中から出そうと思っただけで」

 「だったら動かす方向がおかしいだろうが」

 「地面に引きずった跡、残ってんぞ」

 男は思った以上に頭が回るようだった。

 対して、こちらは何の言い訳も浮かばない。
52: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 18:36:50.39 ID:z1NbjpKpO

 「うわっ、丸出しじゃねえか」

 男はまず死体に近寄っていく。

 「胸と背中に刺傷か。返り血は浴びてないようだし……」

 「しかし先に……場合も……いや」

 ぶつぶつ言いながら、男が近づいてきた。

 「とにかく、警察に通報させてもらうぞ。お前もここにいろ」

唯「……はい」

 逃げ切った所で、私は制服を見られている。

 この男なら、制服の特徴もタイの色も覚えていそうだ。

 むろん、髪色や黄色いヘアピンもそうだろう。

 警察に通報されれば、そこから私が桜ケ丘高校1年の人間だとわかる。

 そして、この時間に私が教室にいなかったことも。

 逃げてもメリットは小さい。

 私はうなだれて、男に従った。
53: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 18:40:30.51 ID:z1NbjpKpO

 ベンチに腰掛けて数分。

 パトカーが2台、公園にやってきた。

 男の指摘した通り、私が死体を隠そうとしていたことはすぐ警察にも悟られた。

 私はパトカーに乗せられ、警察署へ連れて行かれる。

 学校にも連絡がいったらしい。横に座った刑事さんが言っていた。

唯「……」

 私はパトカーの窓に額を乗っけて、流れていく景色を眺めた。

 もう残された手段はひとつしかない。

 私が、私で憂を守るしかない。

 警察署に到着し、私は奥のほうのスペースに通された。

 知っていることをすべて話してほしい。

 刑事さんはそう言った。
54: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 18:43:11.03 ID:z1NbjpKpO

 私はすうっと息を吸うと、眠りに落ちるかのようなまばたきを二回した。

 そして、胸に手を当てて吐露する。

唯「……あの人は、私が殺しました」

 刑事さんの表情は変わらない。

 私は続ける。

唯「ゆうべ遅く……10時くらいでしたか」

唯「私が外をぶらぶらしていると、あの男に声をかけられました」

唯「えと、私が殺した男の人です」

 私が、という所を強調する。

唯「男は万能包丁を持ってました。これくらいの」

唯「それでもって私を脅して、さっきの公園の林の奥に私を連れていきました」

唯「男は私に声を出さないよう言って、私の服を裂いて……」

 声を落とす。
55: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 18:46:33.83 ID:z1NbjpKpO

 刑事さんは不快そうな顔をして頷く。

 何が言いたいか伝わったらしい。

 安堵の息をつきたいのをこらえて、私は話し続ける。

唯「……そのうちに、男が包丁を取り落としました」

唯「一瞬でしたけれど、そのうちに包丁を奪って、すぐ男を刺しました」

唯「胸を刺してのたうちまわっているところに、背中にもう一刺しを」

 ここのところは、あの発見者の探偵気取りな男を信じるしかなかった。

 彼は死体の胸と背中に刺し傷があると言っていた。

 それが本当でなかった場合――どうしようか。

 「それで……死んだのか?」

唯「まだ生きていたと思います」

唯「私は包丁を持ってすぐ逃げたので分かりませんが、そのあと出血多量で死んだんだと思います」
56: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 18:50:23.72 ID:z1NbjpKpO

 「……それで今日、その生死を確認しにいったってわけだね?」

唯「はい。死んでいたので……犯罪者になりたくなくて、死体を隠そうと思いました」

唯「……そこで、通報者の男性に見つかったわけです」

 語り終えて、私は刑事さんの表情をうかがう。

 射抜くような目が、ちらちらと飛んできた。

 「その包丁は、今どこにあるんだ?」

唯「私の家です。台所で血を洗った後、そのままにしてあります」

 包丁は刃だけではなく、柄も丹念に洗ってある。

 指紋は消せている、と思う。

 「……彼の生死を確認するために、なぜ制服を着てきたんだね」

唯「はじめは学校に行くつもりでした。でも公園の前を通るときに、気になったので……」

 納得していない表情で、刑事さんは頷く。

 もともとそういう顔なのかもしれなかった。
58: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 18:53:34.00 ID:z1NbjpKpO

 「では今から、君の家に行かせてもらおうか」

唯「私の家、ですか。……はぁ」

 包丁を探しに来るんだろうか。

 断るわけにもいかず、私はあいまいに頷く。

 問題があるとすれば、憂の着ていた白いコートだ。

 私のものだと主張すれば、今はごまかせる。

 けれど、憂は昨日あのコートを着て、たくさんの友達に会っているのだ。

唯「……」

 パトカーに乗せられながら、私は目を伏せた。

 どうすれば、憂を守れるんだろうか。

 あのコートをうまく処分したとしても、憂が昨日それを着ていたと言う事実は消せない。

 憂は多くのクラスメートと会っているのだ。

 いずれ誰かが訊ねるだろう。
憂、あのコートはどうしたの、と。
59: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 18:56:40.22 ID:z1NbjpKpO

唯「あ……」

 誰かがそれに気付く前に、憂が卒業すればいいんじゃないだろうか。

 コートをうまく処分し、卒業によって周囲との関係が断たれれば。

 私は軽く頷いた。再び体に力が戻ってくる。

 今はどうにかして、あのコートを隠し通さねばならない。

 パトカーが私の家に到着する。

 奇妙なことだが、私が家の案内を頼まれた。

 ここぞとばかりに、私は自分の部屋を客間だと説明しておいた。

 客人用のスペースだから、あまり荒らされるのは困る、と。

唯「……せめて、迷惑はあれきりにしたいですから」

 客間と偽った、私の部屋のクロゼット。

 その中の、ゴミ袋と洋服と紙袋に阻まれた場所にコートはしまってある。

 隠し通せること、なきにしもあらずだ。
60: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 18:59:20.83 ID:z1NbjpKpO

 私たちの家を、しばし人々が荒らしまわる。

 警察の目的は別にあるのか、三階に寄りつく人は少なかった。

唯「……」

 「そういや、昨日の服はどうしたんだね」

唯「朝捨てました。気持ち悪いので」

 「……一緒に暮らしている妹がいるはずだが、何も言われなかったのか?」

唯「妹には話していません。昨日は妹も帰りが遅かったですし、何も気付いてないみたいですよ」

 言いながら、私はボロを出したことに気付く。

 憂の帰りが遅かったのは事件に遭ったせいであって、

 本来は1時間ほど早く帰れていたはずなのだ。

 憂の友人が口をそろえて9時には浜辺を去ったと証言すれば、

 まっすぐ帰った場合と実際の帰宅時間とのズレができる。

 失敗した。
61: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 19:03:18.72 ID:z1NbjpKpO

唯「……」

 こんなことでは駄目だ。

 もっと集中して問答に臨め。

 「……妹さんの学校のほうにも、もう連絡は行っているが」

 刑事さんは頬を掻く。

 「なんだ。君は何故そう敢然としているんだ?」

唯「かんぜん……?」

 「ああ。……こういうことを言うのは私もあまり良しとしないが」

 「君の自白には、嘘がある。君は誰も殺してなどいない。そう感じる」

 「そしてその嘘をひた隠すために、こうしてここに立っているのではないか?」

 じわりと全身から汗がにじむようだった。

唯「いえ、そんなこと……」
62: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 19:06:25.89 ID:z1NbjpKpO

 「……君の嘘は、きっと脆い」

 刑事さんは含み笑いをしながら、階段を上がっていく。

 三階へと歩む後ろ姿に、迫力があった。

 いやな汗がだらだら流れ落ちて、私は袖口でこめかみを拭った。

 壁に寄りかかっているだけなのに、息が上がってくる。

 わけもなく瞳がうるんできた。

 「思った通りだよ」

 どこか悲しげな声が、足音とともに降りてきた。

 廊下に出てきた刑事さんの手から、白く赤いコートがぶら下がっている。

唯「……そうみたいですねぇ」

 「いや、まだ分からないぞ。君の家はもしかしたら客間をゴミ捨て場にしているのかもしれん」

 冗談をとばしながら、刑事さんは私の横をすり抜け、さらに階段を降りていく。

 わたしはずるりと崩れ落ち、乾いた笑いをあげた。
63: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 19:10:12.30 ID:z1NbjpKpO

――――

 真相を隠しきることはできなかった。

 今にして思えば、私の工作は穴だらけだった。

 たとえば、私は22時には外をうろついていたはずなのに、

 22時から始まるテレビドラマを見ていたととれる発言を和ちゃんに返していた。

 時間が経てばほころぶもの、即日に崩れるもの、いろいろだ。

 とにかく。数日して、憂があの男を殺したという判断が下された。

 憂の行動にはいくぶんかの正当性が認められて、

 更生をさせられるはめにはならなかった。

 だけれど、周囲の人々にとって、憂が人殺しをしたという事実に変わりはないみたいだった。

 それから数日後、憂は桜ケ丘への入学を辞退し、隣県の私立高校に編入することになった。

 春から私たちは、別々の家で暮らす。

 もしかしたら、私が余計な手出しをしたせいで。
64: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 19:13:12.98 ID:z1NbjpKpO

 数日後、私が学校に行くと、さわちゃんが手招きしていた。

 ついに来たか。

 私は笑顔をつくり、さわちゃんのもとに走る。

唯「どうしたんですか、せんせー?」

さわ子「その……あのね」

 眼鏡の奥は涙ぐんでいた。

 私は申し訳なくなって、作り笑顔をやめる。

唯「……いいよ、先生。覚悟できてるもん」

唯「殺人の隠蔽って、犯罪なんだねぇ」

 さわちゃんは眼鏡を上げて、ハンカチを目に押し当てた。

 そして、上ずった声で告げる。

さわ子「ええ。だからっ……唯ちゃんは」

 長く細い息を吐き、さわちゃんは胸を落ちつける。

さわ子「……平沢さんは、強制退部処分、だそうよ」
65: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 19:16:49.72 ID:z1NbjpKpO

唯「……そっか」

 私は笑おうとして、失敗する。

 涙としゃっくりが邪魔をした。

唯「……仕方、ないんだよね? わるいことしたんだもん……」

さわ子「……」

 さわちゃんは黙って、私の背中に手を置く。

唯「けいおんぶっ……たのしかったのに、な」

 一瞬、ふわりと大人っぽい匂いがしたけれど、すぐに鼻が詰まってしまった。

唯「さわぢゃん、わだしぃ……」

唯「くく、くやしい、なっ……もっと、けいおんしたかったよぉ……」

 ぎゅっとさわちゃんは私を抱きしめた。

 腕をのばして、言葉にできない悲しみと私は抱き合う。

 それからはもう、涙しか出てこなかった。
66: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 19:20:15.70 ID:z1NbjpKpO

 放課後、私はさわちゃんと一緒に音楽準備室に向かった。

 1年間一緒に部活をやった仲間に、お別れを言うために。

紬「唯ちゃん。今日も寒いわね」

 5人分のお茶が入る。

 ムギちゃんの紅茶が飲めるのも今日限りかと思うと、感慨深い。

唯「ありがとう、ムギちゃん。いつもいつも」

紬「いいのよ、私も紅茶好きだから」

 上品にムギちゃんは笑う。

 笑顔を返したかったけれど、やっぱり無理だった。

唯「ううん。本当にありがとう」

紬「……照れちゃうわよ」

律「……私たちも感謝してるぞ、ムギ」

 会話の止まる雰囲気を察知したのか、りっちゃんが言う。
68: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 19:23:12.88 ID:z1NbjpKpO

律「でもムギさぁ、なんで紅茶を持ってこようと思ったんだ?」

紬「言ったじゃない。好きだからよ」

律「あ、あぁ……」

 でも、そんな努力もむなしく、会話は止まった。

澪「……唯」

 沈黙を破ったのは、澪ちゃんだった。

澪「その……話があるんだろ」

唯「……うん」

 重苦しい雰囲気の中、私は頷いた。

 いつもの楽しい空気で言い出せたらな、と思っていたけれど、

 やっぱりそういう訳にもいかないみたいだ。

 軽く話していいことと悪いことがある。
70: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 19:26:35.59 ID:z1NbjpKpO

唯「憂の事件と、それから私がやったことをうけて……」

唯「……私は、強制退部処分だってさ」

 どんよりとした空気に、さらに低い空がのしかかってきた。

 口を開くのもためらわれるような中で、りっちゃんが机を叩く。

律「……っかしいだろうよぉ」

律「こんなの、おかしいじゃねえかよ……」

 もう一度、りっちゃんの拳が机を叩く。

 さすがドラマー、いい音がした。

律「さわちゃんっ、唯は何も悪くないだろ! なんで唯が辞めさせられなきゃいけないんだ!」

唯「りっちゃん、違うよ。私がいけないんだ」

律「いけないもんか! 説明しろよさわちゃんっ!!」

澪「律、よせ。……判断したのはさわ子先生じゃないだろ」

 澪ちゃんがそっとりっちゃんを宥める。
71: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 19:30:19.68 ID:z1NbjpKpO

律「……くそぉ」

 りっちゃんは机に伏してしまった。

紬「どうにも、ならないんですか」

さわ子「残念だけど……」

 さわちゃんが俯く。

 きっと撤回のために頑張ってくれたんだろう、

 輪郭がすこし細くなっていることに気がついた。

律「なにもかも、ヤロォのせいだ……」

澪「男か……」

唯「……」

 私は椅子を引き、立ち上がった。

紬「……唯ちゃん?」
72: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 19:33:45.01 ID:z1NbjpKpO

唯「……私の退部処分は、今日からだから」

律「唯、待てよ!」

 りっちゃんが私の腕を掴もうとする。

 その前に駆けだして、私は長椅子に置いていたカバンをとった。

唯「ゴメン、みんな。最後まで一緒にやれなくて……」

紬「やだ……唯ちゃん、辞めちゃいやよ!」

澪「……唯がいなくなったら軽音部はどうするんだ」

澪「そんな所に居るなっ! 戻ってこい!」

 ムギちゃんは、らしくもなく涙と鼻水を落として駄々をこね、

 澪ちゃんは学園祭の日、マイクで拡声した声より大きく怒鳴る。

唯「ありがとう。引きとめてくれて」

唯「私、みんなが大好きだよ。優しいみんながっ……」

 しずくがぽたぽた、床を濡らした。
76: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 19:36:13.43 ID:z1NbjpKpO

唯「ギー太……」

唯「ギターは、軽音部に貸しておくね」

 ソファに立てかけてあるケースを私は見やった。

唯「好きに使っていいから……ちゃんと新入部員つかまえるんだよ」

唯「4人いなきゃ、部活にならないんだから!」

 精一杯、心が壊れそうなくらいに頑張って、

 私はようやっと笑顔をつくった。

律「唯……」

唯「来年の学祭でも、ギー太の歌を聞かせてね。絶対だよ!」

 それだけ言って、私は逃げ出した。

 扉の開く音が追いかけて、ムギちゃんの声がする。

紬「唯ちゃんっ、いつでもまた遊びに来てちょうだいね!」

 階段を駆け降りる私の耳に、そんな言葉が届いた。
77: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 19:40:19.08 ID:z1NbjpKpO

  (2)


 流行する噂には法則性がある。

 見出しが単純で、かつ話題性に富んでいること。

 「何で?」「どんな?」と聞き手の興味を惹きつける材料があること。

 そしてその問いに対し返ってくる答えもまた、刺激的であること。

 ――平沢唯が、軽音部を強制退部処分だって。

 すべて、満たしていた。

和「おはよう、唯」

唯「……おはよ」

 事件からまる一週間が過ぎて、私はようやく平穏な生活を取り戻したかに思えた。

 マスコミの数も今朝はうんと減った。

 隣町で子が親を殺害する事件が起き、みんなそっちに流れたみたいだ。

 ろくに報道できない未成年の事件よりも報道の体をなすし、

 何より私たちの事件は、大衆にとって既に鮮度が落ちたんだと思う。
79: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 19:43:28.60 ID:z1NbjpKpO

 けれど、それはあくまでマスコミのほうの話だ。

 私の周りに、事件の話題はまだ色濃く残っていた。

 ……いや。

 むしろ私の退部処分という、どこか現実的な見出しによって、

 この話題はようやく熱を持ち始めたような感があった。

和「憂は……どう?」

唯「新しい生活のことだけ考えてるみたい。……元気そうに装ってるだけかな」

和「……離れて暮らすの不安じゃない?」

唯「憂なら大丈夫だよ。しっかりしてるから一人でも平気だって」

和「唯の話をしてるんだけど」

唯「ぷー」

和「ふふ……」

 和ちゃんの冗談はあまり面白くなかった。
80: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 19:47:07.53 ID:z1NbjpKpO

唯「……心配してくれてありがとね」

 私はにこりと笑う。

唯「でも私も大丈夫だよ。会おうと思えば会えない事もない距離だし」

和「そうね。あなたたち姉妹に言うことでもないと思うけど……仲良くしなさいよ?」

唯「……あはは」

 和ちゃんの心配は、すこしばかり当たっているような気がした。

 部屋でからっぽのギタースタンドを見るたび、私は毎度切ないのだ。

和「でも、いいのかしらね」

 どこか宙を見上げて、和ちゃんは言う。

和「そんなことを言うけれど、私には……すごく心配なのよ」

和「あなたたち二人には、一緒にいてほしかったわね」

 私も、そんな和ちゃんの顔を見るのをやめて窓の外に目をやる。

唯「そんなの、私だって。憂と一緒に暮らしていたかったよ」

和「……そうよね。ごめんなさい」
81: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 19:50:04.00 ID:z1NbjpKpO

 一週間前より少し暖かくなった空を、ばさばさ黒い鳥が羽ばたく。

 校庭に影を落としながら、学校の敷地を横切っていく。

唯「……」

 和ちゃんをちらりと見た。

 わけなんて無いんだろうけど、切れかけの蛍光灯をじっと見上げている。

 窓の外に、もう鳥はいなかった。

 私たちは正反対の方向を見つめながら、なにも語らうことなく時間を流す。

和「……」

 憂と離れて暮らして大丈夫だろうか。

 和ちゃんに言われるまで、考えないようにしていた。

 遠くへ行ってしまった憂が、いつでも私のことを考えていてくれる保証はない。

 何より怖くて辛いのは、

 憂にとって私が遠い存在になってしまうこと。
82: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 19:54:41.53 ID:z1NbjpKpO

唯「……やっぱ、わたし憂のとこ行こうかな」

 新品の上履きを擦り合わせながら、私は言った。

 和ちゃんが振り返る。

和「唯?」

唯「私はいつだって憂のこと考えてるけど……」

唯「憂も私のことを考えてくれてるとは限らないよ」

 私の言葉に、和ちゃんはちょっと押し黙る。

 だけどすぐに、固くしていた口元をふっと緩ませた。

和「そんなことはないわ。憂は唯のこと、いつも考えているはずよ」

和「私はずっと唯達のこと見てきたもの。断言できるわ」

和「あなたたちは別々に暮らしても、心まで離れたりしない」

 そう言って、私の頭を撫ではじめる。
85: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 19:58:01.69 ID:z1NbjpKpO

唯「だといいんだけど……」

 頭を撫でられる優しい感覚に、私は目を閉じた。

唯「……うん、そうかな」

 私は考えるのをやめて、笑う。

和「そろそろ昼休み、終わるわね」

唯「席戻る?」

和「ええ。じゃ」

 そんな私の変化を見取ったのか、和ちゃんは軽く手を振り、

 自分の席にすたすた歩いていく。

 大丈夫だ。

 不安がないと言えば嘘になるけれど、

 私が私たちの絆を信じられなくてどうするんだ。

 頬を叩いて、私は5限目の支度を始める。
87: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 20:00:16.23 ID:z1NbjpKpO

唯「……っ」

 机の引き出しの中に手を入れて、私は奥歯を軋ませた。

 がさりと指先に当たる感触は、くしゃくしゃにされたメモ用紙だった。

 私はそれを握りつぶしてポケットに入れると、黙って教科書を出す。

 ふと、また私たちの今後が気にかかる。

唯「……変わっちゃったのかな」

 私たちは。

 和ちゃんがずっと見守ってきた平沢姉妹ではなくなってしまったのかもしれない。

 小さなメモ用紙によって、制服のポケットが膨らんでいる。

 それと同じくらいの大きさで、

 私はそれまで抱いたことのない気持ちを、心の中でふくらませていた。

 授業が始まるまで、私はなんとなく、

 憂がいまどんな顔をしているのかと想像を巡らせていた。
89: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 20:03:32.11 ID:z1NbjpKpO

――――

 放課後、和ちゃんは生徒会があったから、

 私は一人でまっすぐ帰ることにした。

 一人で学校から帰るのは久しぶりだった。

 いつも軽音部のみんなが一緒だったし、みんな用事で部活のない日も、大抵は和ちゃんがついていた。

 孤独はすごく懐かしい。

 そう思ったけれど、一週間ほど前の夜も十分孤独だった。

 憂が襲われた夜。

 憂が人を殺した夜だ。

唯「……」

 私は暖かくも寒くもない帰路を行く。

 遠回りをして、公園の前は通らないようにした。

 以前うっかり通ってしまった時、近所のおばさん達が声をひそめたからだった。
90: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 20:06:21.67 ID:z1NbjpKpO

 4時前に家に着く。

 朝、きちんと施錠して出ていったはずだが、鍵はかかっていない。

 憂の卒業式はもう終わっていて、憂は一日中部屋に籠っている。

唯「ういめ……」

 私は階段をすとすと上がり、自室にカバンを放り投げる。

 隣の部屋で動きがあったが、構わずドアを開けた。

唯「ういー、お姉ちゃんにただいまは無いの?」

 憂は髪をほどいたままで床に転がり落ちていた。

 今の今まで寝ていたらしい。

憂「気付かなかったよ……びっくりしたぁ」

 暢気に笑う妹に、私はさらに近づく。

唯「憂、寝てたの?」

 私は両手を後ろに回し、憂の前でしゃがんだ。
91: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 20:10:19.42 ID:z1NbjpKpO

 めくれた布団を見れば訊くまでもないことだったけれど、

 私はあえて憂に尋ねてみた。

憂「うん……家に一人でいても、眠くなっちゃうだけなんだ。買い物に出たりもしたけど……」

 寝ぼけ眼をこすりながら、憂は答える。

唯「だったらっ」

 私は左手で憂の首を掴んだ。

 私の左手が勝手に、そういうように動いただけかもしれない。

 どっちでもよかった。

憂「う、ぎぅ……!」

 ギー太のネックを持っていた手が、今は憂のネックをきつく絞めている。

 憂は無様に床に倒れ、身悶えて私の手をふりほどこうとする。

 私は憂の上に馬乗りになり、腕に体重をかけた。
93: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 20:13:23.34 ID:z1NbjpKpO

憂「あ、アアぁぁ……!!」

 その姿がいつかの暴漢と重なったらしい。

 憂の瞳から輝きが消え、涙があふれ始める。

 首を絞められながら必死でひり出している悲鳴を聞いて、私は力を抜く。

 同時、振り上げられた憂の膝が、私の背中を蹴りつけた。

憂「ハ、はぁ……ゲホッ、ゲホ」

 私は咽せ込む憂のそばに腰を据え、憂が落ち着くのを待った。

 やがて深い息を吐いてから、涙をこぼしたまま憂は言った。

憂「お姉ちゃん、どうして……」

唯「シミュレーションだよ」

憂「……シミュレーション?」

 ゆっくり体を起こし、憂はベッドに頭をのっける。

唯「そう。私たちの家に来たのが私じゃなく、強姦魔だった場合のシミュレート」
95: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 20:16:18.76 ID:z1NbjpKpO

 憂はまだ泣いていた。

唯「……憂。鍵は絶対にかけて。家じゅう全部」

唯「扉がついてる箱なんて……私たちに興味を持った連中からしたら」

唯「プレゼントボックスより開けやすいんだから」

 手を伸ばし、憂の涙を拭ってあげる。

唯「襲われた時に、相手を殺せることなんて滅多にないんだよ」

憂「お姉ちゃん……」

唯「……殺されることの方が多いくらい」

唯「家の中だからって安心なんかしちゃダメ」

唯「入ってくる人間は絶対にいるよ」

 厳しく言って、それから憂の頭を撫でた。

憂「……わかった。ごめんね、お姉ちゃん」

唯「わかればよろしい。……憂」
96: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 20:20:04.13 ID:z1NbjpKpO

 私はなんだか久しぶりに、憂に抱きついた。

唯「ごめん、私……怖かったよね」

憂「……ううん。苦しかったけど、お姉ちゃんだから、全然」

 耳もとで憂が笑った。

 私は洟をすすって、憂の襟足に涙をこすりつける。

唯「こわいの、つらいの……憂が知らない所で一人で暮らすって思うと」

唯「不安で心配で、胸がつぶれそうになるんだ……」

 ああ、なんだ。

 私は姉のようなことを言っておいて、結局は。

唯「あんまりお姉ちゃんに心配かけるようなこと、しないでよぉ……」

憂「ごめんね……ごめんね、お姉ちゃん」

 憂に安心させてもらいたいだけなんだ。
97: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 20:23:28.88 ID:z1NbjpKpO

憂「……お姉ちゃん、心配しないで」

 憂がやさしく抱き返してきた。

憂「私は大丈夫だよ」

唯「憂……」

憂「わたし……お姉ちゃんのこと、大好きだもん」

憂「だからもう、絶対悲しませないよ」

 あたたかな憂の体温。

 やわらかな体。ほんの少しだけ汗っぽい匂い。

唯「……憂、わたし決めたよ」

憂「決めたって、なにを?」

 未練がないわけじゃない。

 けれど、もう全部失ってしまったことを認めなきゃいけないんだろう。

唯「憂と同じ高校に、行く」
101: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 20:26:40.51 ID:z1NbjpKpO

憂「……それって、桜高をやめるってこと?」

 おそるおそるといった感じで、憂は訊ねる。

唯「うん。憂のとこに編入する」

 きっぱりと言った私の体を、憂はぐっと押しのけた。

憂「だめだよ、そんなの……」

憂「軽音部の皆さんも悲しむよ。和ちゃんだって」

唯「軽音部は辞めさせられたよ?」

唯「今や特例で部室の使用が認められてるだけの3人組」

唯「来年部員を補充できなきゃ、本当に廃部して……」

 憂が私のくちびるに、人差し指を当てた。

憂「……」

 無言で、首を横に振る。

 ダメ、とサインを送っているのだと理解するのに時間がかかった。
102: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 20:30:01.99 ID:z1NbjpKpO

憂「お姉ちゃんは、桜高に通わなきゃ」

 私の胸を、鎖がぎりぎり締め付けた。

唯「どうして……」

憂「……みなさんは、お姉ちゃんの大事な人だから」

唯「でも、憂が一番大事だよ!」

 幼馴染、部活仲間。

 みんなのことは大好きだけど、家族の憂より大事とはいえない。

 私が必死で憂にすがりつくと、くすりと笑い声が降ってきた。

憂「だからだよ、お姉ちゃん」

唯「え……?」

憂「和ちゃんも、律さん達も、友達の一人でしかないから」

憂「お姉ちゃんが大事にしてあげないと、知らない誰かになっちゃうよ?」

唯「けど……」
105: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 21:00:15.28 ID:z1NbjpKpO

 憂は悲しげに笑った。

 私の気持ちが、憂の笑顔をそういう風に見せたのかもしれない。

憂「わたしは平気だから。お姉ちゃんは律さん達と仲良くして」

唯「……」

 憂は何を求めてこんなことを言うんだろう。

 私のため、なんだろうか。

 私が和ちゃんやムギちゃんたちと仲良くして、憂は嬉しいんだろうか。

唯「憂は……それでいいの?」

憂「そうしてほしい、かな」

 ちょっとだけ目頭の痛くなる答えが返ってくる。

憂「軽音始めたお姉ちゃん、すごく楽しそうだったもん」

唯「でも、私は……」

 軽音部には、戻れない。

 私は人殺しを庇ったから。
106: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 21:03:19.24 ID:DJXCuN550
人殺しっていうなあああああああああ
107: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 21:03:35.07 ID:z1NbjpKpO

憂「お姉ちゃん、希望を捨てたらいけないよ」

憂「きっといつか、軽音部に戻れるから」

 どうしてだろう。

 軽音部のことはもう、とっくに諦めていた。

 遊びに行くつもりもなかった。それなのに。

唯「……ありがとう、憂」

 憂の声で言われたら、急に軽音部がなつかしくなった。

 ギターのコードを覚えたこと、学祭ライブの思い出。

 合宿をしたこと、クリスマス会のこと。

 私は、無理に忘れようとしていたんだろうか。

唯「えへへっ」

 自然と笑いがこぼれた。

唯「うい。戸締まりはしっかりね!」
108: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 21:04:06.01 ID:M1ikNSYo0
唯が人殺しとか思うわけない
109: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 21:06:41.11 ID:z1NbjpKpO

――――

 2週間後、私たちは笑顔で別れた。

 次に会えるのはゴールデンウィーク。

 だけど、不思議と寂しさは無い。

 それは多分、私の中に憂がいるから。憂の中にも私はいるから。

 その日がとても暖かかったのは、

 春がすぐそこまで来ていたせいだけではないんだと思った。

 2年生になった私は、りっちゃんとムギちゃんと同じクラスになった。

 クラス替えでごちゃごちゃした所為か、私への嫌がらせもぱたりと止んだ。

 友達には戻れなかったけれど。

 でも憂の言う通り、希望を捨てなくてよかった。

 放課後と、家に憂がいないことを除けば、

 私の生活はすっかり元に戻り始めていた。
110: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 21:10:06.61 ID:z1NbjpKpO

 新1年生も入学し、学校も平凡な日常におさまりつつあったある日のこと。

律「新歓ライブをやることにしたんだ」

 りっちゃんがそんな報告をした。

唯「しんかん?」

紬「新入生歓迎ライブよ、唯ちゃん」

律「名目上は、だけどな」

 軽音部ではなく、田井中律として講堂の使用許可をとり、

 入部者を広く募集するためのライブをやろうということらしい。

唯「確かにあのポスターじゃ部員は獲得できそうにないもんねぇ」

律「去年アレを見て入部届け出したのは誰だ」

唯「そんなこともありましたねぇ」

 頬杖をついて、私は掲示板に張られていたポスターを思い返す。

 ギタリスト募集の文字の上には、

 「入部者にはギター(25万円相当)を貸与!」と書かれていた。
111: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 21:13:24.16 ID:z1NbjpKpO

紬「……演奏は、さわ子先生にお願いすることになったわ」

 おずおずとムギちゃんが言う。

唯「うん、それがいいね。私ももうギター弾かなくなってずいぶん経つし」

唯「コードとか忘れちゃったもん」

律「……ったく」

 りっちゃんが不機嫌そうに腕組みをした。

唯「いやはやぁ、申し訳ない」

律「ん……いや」

唯「それで、ライブっていつやるの?」

紬「3日後よ。放課後にやるわ」

唯「……3日後かぁ」

 私は唇を曲げてみた。

 日付なんていつでもよかったんだ。
112: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 21:16:21.46 ID:z1NbjpKpO

律「聴きに来いよ、唯」

 りっちゃんが私の肩にぽんと手をのせた。

律「さわちゃんがギター弾いてくれるって言うしさ。めったに聴けないぞ?」

唯「……行きたいけど」

 視界が下向いた。

 この上履きを買ってから結構経つけれど、汚れはちっともついていない。

紬「唯ちゃん、都合つかないの?」

 正直なところ、私は純粋な気持ちでりっちゃんたちの演奏を聴ける自信がなかった。

 さわちゃんの立つ場所は、本来私が立っているべき場所だと思ってしまう。

 そして、どうして私がそこに立てないのかと思ってしまう。

 みんなの演奏も、ギー太の歌も聴きたいけれど。

 それで私は満たされるのかと言うと、それとはまったく逆で、

 むしろ軽音楽のない今の退屈さを再確認するだけに思えた。
113: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 21:20:47.55 ID:z1NbjpKpO

唯「3日後は、ちょっと用事が……」

 私は嘘をついた。

 用事なんて一つもない。

律「そうか……」

 りっちゃんの手が肩からおりる。

唯「ごめんね。またライブやるときは呼んでほしいな」

律「いいって。今度は早いうちに知らせるよ」

唯「うん。ライブ頑張ってね!」

 私は落ちそうになったりっちゃんの手をとる。

律「……ああ、任せろ。絶対部員つかまえるからな」

 視線を合わせて、頷き合う。

 ムギちゃんが不思議そうな顔をした。

紬「でも唯ちゃん、用事って?」
114: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 21:24:35.71 ID:z1NbjpKpO

 軽音部のライブより大事な用事がなんなのか、ムギちゃんは気になるらしい。

 そう思ったら、次の嘘は簡単に思い付いた。

唯「憂のとこ行くんだ。三週間ぶりぐらいかな?」

紬「あ、そうだったの……」

 ムギちゃんは申し訳なさそうな顔をする。

唯「ほんと、ごめんね」

律「謝るなよ。私らより憂ちゃんを優先するのは当たり前だ」

唯「……そうかもね。ありがと」

 憂との約束は、りっちゃん達と仲良くすること。

 でも毎日顔を合わせていたって、憂以上の存在にはやっぱりならない。

 憂の顔を思い出したとき、

 私の吐いた嘘はすでに嘘ではなくなっていた。
116: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 21:28:15.64 ID:z1NbjpKpO

 三日後、新歓ライブのステージに出向くみんなを見送ってから、

 私は電車に乗って憂の町に向かった。

 憂にはまだ、私の来ることを知らせていない。

 私は簡単な荷物と着替えだけ持って、2時間電車に揺られる。

 今日は金曜日だから、憂の家に二晩泊まって、日曜日に帰るつもりだ。

 交通費が財布に痛かったけれど、憂の顔を見れるなら安いものだった。

唯「ふふふ……」

 憂の一人部屋は、どんな暮らしぶりだろうか。

 私は電車の中でにやにや笑い、隣のサラリーマンと会釈を交わした。

 一度しか来たことのない駅のホームに降り立って、住所から検索した地図をたよりに歩く。

 品のいい街並みに建てられたマンションは、すぐに見つかった。

 エレベーターで4階に上がる。
117: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 21:32:11.67 ID:z1NbjpKpO

 412号室に、平沢の札が掛けてあった。

 呼び鈴を鳴らし、のぞき窓に顔を近づける。

 向こう側に、ぼんやりと肌色が浮かぶ。

唯「こんばんわ、憂」

 がたりと音を立てて、ドアロックが外された。

憂「お姉ちゃん、なんで……?」

 小さく開いた隙間から、憂が顔を出す。

 私はただ、歯を見せて笑った。

憂「あ、とりあえず」

 憂は大きくドアを開け、私を迎え入れた。

 すぐそこにある台所から、だしと醤油の煮立つ匂いが漂ってくる。

 私がいなくてもしっかりやっているようで、安心した。
122: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 22:00:08.45 ID:z1NbjpKpO

 ぱたりと閉じたドアに、鍵とチェーンが掛けられる音がする。

憂「お姉ちゃんっ」

唯「おっとと」

 かと思うと、靴を脱いでいる私の背中に、ぎゅうっと憂が抱き着いてきた。

 私はバランスを崩して、壁に手をつきながらずりずり床に落ちていく。

唯「もう憂、寂しかったの?」

 半分脱げた靴を沓脱ぎに落として、憂の頭をなでる。

憂「うん、実を言うとね。けっこう寂しかったりしたかな」

 それは憂なりの、私を気遣った表現なのかもしれなかった。

 本当はさびしくて仕方ないのに、私を心配させまいとしているんだ。

唯「……」

 鍋の噴きこぼれる音がする。

唯「……憂、お料理の途中でしょ?」
125: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 22:04:12.95 ID:z1NbjpKpO

 憂は私の首もとに頬をのっけたまま、答えない。

 だし汁の沸騰する音が聞こえなくなった。

 噴きこぼれで火が消えてしまったのだろう。

唯「憂……?」

憂「……寂しかった」

唯「う、うん」

 腕が疲れてしまわないか心配になるほど、憂は強く私を抱きしめる。

唯「ごめんね」

憂「……」

 背中を包む、憂のぬくもり。

 憂がすこし顔を上げて、私の耳に唇を触れて囁いた。

憂「大好き、お姉ちゃん」

唯「……私も大好きだよ、憂」
128: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 22:08:13.27 ID:z1NbjpKpO

 くすりと笑って、憂の体が離れた。

憂「お姉ちゃん、ご飯は食べてきた?」

唯「ううん。久しぶりに憂のご飯食べたかったから」

 私が言うと、憂は幸せそうに笑顔を垂れた。

憂「じゃあ、作る量増やすね。ちょっと待ってて」

 おもむろに立ちあがって、台所に憂は歩いていく。

 かちゃりとコンロの火がつけ直され、料理が再開される。

 私も手をついて立ち、部屋の端に荷物を置く。

 女の子の部屋としては、少し殺風景だ。

 窓はすべて厚いカーテンで遮られ、外の様子をうかがうことはできない。

 床には鼠色のマットが敷かれ、あとはテーブルとベッドが置かれているくらいだ。

 部屋の隅には筆記用具の散乱した机と、ほこりをかぶった箱型テレビが追いやられている。

唯「……」
129: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 22:12:12.32 ID:z1NbjpKpO

唯「ねぇうい、憂って普段なにしてるの?」

憂「携帯いじってるよ。写真見たり、友達とメールしたり」

唯「友達はできた?」

憂「お姉ちゃん」

 私の言葉を遮るように、憂が台所から顔を出して言う。

憂「今日はもう遅いし、泊まっていくんだよね?」

 それは私の質問に対する憂の否定にもとれた。

 だから憂は、こんなにも寂しがっているんだろうか。

唯「……うん、明日も泊まってくよ」

憂「でも、そしたら寝る場所が……」

唯「んー、あのベッドなら二人で寝れそうだよ」

 シーツを撫でて、憂のベッドを眺める。

 少し狭くはなるだろうけれど、二人くらいなら横になれそうだった。
130: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 22:16:08.40 ID:z1NbjpKpO

憂「あ、そっか……一緒に寝たらいいんだね」

 台所に引っ込んで、憂はちょっと声を大きくする。

憂「なんか、久しぶりだね? 一緒に寝るのって」

唯「そうかもね。子供のころはしょっちゅうだったけど」

 雷のよく落ちた夜や、怖い話を聞いた夜は、

 しばしば憂が私のベッドに潜りこんでくることがあった。

 私たちが大きくなって、二段ベッドを卒業してからもその習慣はしばらく続いたけれど、

 時間が経つにつれて、だんだんと憂は私のところに来なくなっていた。

唯「最後に一緒に寝たの、いつだったっけ?」

憂「さあ……」

 私もすこし考えてみたが、遠い昔のことしか思い出せなかった。

 記憶の中の憂は、顔を真っ赤にしている小学5年生くらいの少女だった。

憂「よし、できたよお姉ちゃん」
132: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 22:20:42.03 ID:z1NbjpKpO

 憂が大きな丼に盛ったかけそばを運んできた。

 そっと座卓にのせ、熱そうに手を払う。

唯「憂のは?」

憂「いま持ってくるよ」

 そう言って憂はまた台所に引っ込み、小鉢のような皿に蕎麦を盛ってきた。

 私は目を疑った。

 瞼を擦り、テーブルに置かれた丼ぶりと深皿を見比べる。

 憂が自らの前に据えた深皿の大きさは、私の丼ぶりの半分もなかった。

唯「……憂、ダイエット中?」

憂「うん、まぁ、少し」

 私はよろけながら立って、憂の後ろにまわり、

唯「ちょっと失礼」

 憂の服の裾から手を突っ込んだ。
133: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 22:24:21.35 ID:z1NbjpKpO

憂「うひゃっ!? お姉ちゃん……手冷たいよ」

 そして手に返ってきた感触に、私は絶句した。

唯「そんな……」

 肉を寄せることすらできなかった。前は指でぷにぷにできた憂のお腹が、ぺたんこになっている。

 私は服から手を抜くと、テーブルの丼を掴み、憂の前に押しつけた。

唯「これは憂が食べなよ」

憂「えっ? でも……」

唯「ちょ、ちょーっとね。憂は痩せすぎだと思うなぁ」

憂「う……そうかな?」

 ばつが悪そうに眉尻を下げて、憂は丼を受け取る。

唯「どうしても食べきれなかったら私にくれていいから、お腹いっぱい食べなよ」

憂「うん……」
135: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 22:28:21.00 ID:z1NbjpKpO

唯「さてと……」

 私は床に座って箸をとると、手を合わせた。

唯「いただきます」

憂「いただきます」

 憂も同様に手を合わせた。

 すこし笑い合って、温かいそばをすすり始める。

唯「うん、うまい!」

 私でも、あの大きなどんぶり鉢に入ったそばを食べきれるかは自信がなかった。

 憂も長いこと平沢家の家事を担当していたから、私の食べる量くらい把握しているはずだ。

 それなのに過剰に盛られた蕎麦、そして少なすぎる憂の食事量。

 かなり痩せた腹周り。

 憂の中で、食事というものが大事はなくなってしまったんだ。

 だから適切な食事量が分からない。

 だから食事が退屈で、食べる量が減っていく。
138: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 22:34:15.60 ID:z1NbjpKpO

 憂は1時間以上をかけて、どうにか蕎麦を食べきった。

唯「ほんとに一人でちゃんとやってる?」

憂「大丈夫だよ」

 お腹をさすりながら、憂は笑う。

憂「お姉ちゃんがいないのは、そりゃ寂しいけど……」

憂「一緒に撮った写真とか見てたら、まぎらわせるんだ」

 私は手と膝をついて、四つん這いの格好で憂にすりつく。

唯「ん?、ういー♪」

憂「おねえちゃん……」

 大きくなった憂のお腹を撫でる。

 幸せが胸に満ちてきた。

唯「今日と明日は、いっぱいベタベタしようね?」

憂「そだね。エヘヘ」
139: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 22:38:17.03 ID:z1NbjpKpO

 私たちは一緒にお風呂に入った後、憂の部屋着に着替えて、

 眠たくなるまでベッドでお話をした。

 最近の話じゃなく、1年以上昔の話ばかりを、ずっと。

 話しながら色んなことを思い出して、私は再び認識する。

 憂が一番、大好きだ。

 そのうちに憂は、私の腕の中で眠りに落ちた。

 私は頬に軽くキスをして、時計がかちこち鳴る音にまざる

 憂の寝息を子守唄に、暖かな気持ちで目を閉じた。

――――

憂「お姉ちゃん、朝だよ」

 憂の声で私は目覚める。

 カーテンが閉まっているので分からないが、時計はたぶん朝の9時を指している。

 少し眠りすぎたみたいだ。
144: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 22:42:23.09 ID:z1NbjpKpO

唯「おはよ、憂」

憂「おはよー」

 私は憂に体を起こしてもらい、ベッドを降りた。

 テーブルにはすでに朝食が用意されている。

 トースト、スクランブルエッグ、レタスのサラダにオレンジジュース。

 種類はあるが、量は2人前にしては少なめにも見えた。

 何より、トーストは一枚きりしかない。

唯「ほい」

 私はトーストを半分にちぎって、憂の前にちらつかす。

憂「太っひまうご」

 憂がなにか言いかけたが、トーストを口に押し込めたら静かになった。

 きょうだいの関係において、

 年長者のもつイニシアチブはもしかしたら親子関係のそれより強いかもしれない。
147: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 22:46:17.83 ID:z1NbjpKpO

憂「んぐっ……もう、お姉ちゃんっ」

 トーストを飲みこんだ憂が頬をふくらます。

唯「ごめんごめん。けど、憂にはしっかり食べてほしいし」

憂「……」

 言葉も返さずに、憂はレタスを食む。

 何か胸のうちに秘めている様子だ。

唯「えっと、今日はどこか行く?」

 私は憂を前にして、言葉を詰まらせてしまった。

憂「洗濯とかしなきゃいけないから、お昼からどっか行こっか」

唯「うんうんっ、そうしよう!」

 憂が笑って、返事をしてくれた。

 その程度のことに、心が震えるほど嬉しくなる。

 私はなんだか、憧れの人とのデートを取り付けたような気持ちだった。
149: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 22:50:16.33 ID:z1NbjpKpO

――――

 昼になると気温も上がり、すこし汗ばむくらいになってきた。

 私は掃除をしている憂の代わりに昼食を作る。

 憂の食事量に合わせて作った昼食を笑顔でたいらげてもらって、私たちは外に出た。

 まだ憂自身も不慣れな街を、私たちは歩く。

 シャッター通りの先に百貨店があって、私たちはまずそこに向かった。

 特別、洋服を買いたいとかいうことはなかったし、そもそも財布に余裕もない。

 ただ憂と一緒になにかをしているというだけで、私は楽しかった。

唯「あっ、これいい!」

憂「どれ? お姉ちゃん」

唯「これだよこれ。見て、私と憂みたいだね」

憂「……ほんとだねぇ」

 同じ柄で、形の違う帽子をそれぞれ購入する。

 早速お揃いでかぶって、プリクラ機に直行した。
152: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 22:54:26.27 ID:z1NbjpKpO

憂「なんて書く?」

唯「うーん……」

 私はちょっと首を捻り、ペン先をパネルに当てる。

 「4ever」と書いて、手が止まる。

憂「ずっと……?」

唯「ずっと……」

 私は星型のスタンプを、ピリオドのように押した。

 ぼかしたのは、それがハッキリと記すようなことではないような気がしたから。

 当たり前すぎて、書きたくなかった。

憂「ほし……?」

唯「ま、ダジャレかな」

憂「……あ、そういうことかぁ。えへへっ」
156: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 22:58:22.97 ID:z1NbjpKpO

 ラクガキを終え、出てきたプリクラを半分に切り分ける。

唯「ふぃーっ」

 騒がしいゲームコーナーを抜け、ベンチに腰掛けて小休止にする。

 憂もすこし疲れたらしく、天井に向かって息を吐いていた。

憂「ふぅー……エネルギー使うね」

唯「……なんか食べますかぁ? アイスとか」

 私はフロアの端っこにあるアイス屋さんに目をやった。

憂「うーん、間食はちょっと控えたいなぁ」

 どうやら憂がダイエットをしているというのは本当のようだ。

 それにしたって、ここまで隙を見せずにいる憂も珍しいけれど。

唯「ちょっとくらい平気だよぅ」

 憂が懸命に我慢しているのが可愛くて、下卑た声で誘惑してみる。

 もちろん、憂と一緒にアイスが食べたいのも本当だけれど。

憂「いいよ、いらないもん」
157: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 23:02:10.71 ID:z1NbjpKpO

唯「そんなこと言っちゃって。我慢は体に毒だよ?」

憂「平気だよ。お姉ちゃんひとりで買ってきたらいいじゃん」

唯「……いまのはカチンと来たねぇ」

 私はだんだん焦れてきて、憂の手を掴んだ。

唯「こうなったら無理矢理食わせてやる! うりゃーっ!」

 そして思いっきり腕を引っ張って――異変にようやく気付いた。

憂「……」

 憂はベンチに張りつけられたように動かず、俯いていた。

 そして、深く被った帽子の陰から、ぽたりぽたりと雫を落とす。

唯「ういっ?」

 私は慌てて憂の手を放してハンカチを出し、涙を拭う。

 布ごしに触れた涙は、ひどく冷ややかだった。
159: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 23:06:17.83 ID:z1NbjpKpO

 どうして憂は泣くんだろう。

 憂のことが分からなくて、私まで泣きたい気分だった。

唯「よしよしよし……」

 ひたすら憂の頭を撫でて、ぎゅっと抱いて、私は沈んだ気持ちをごまかす。

唯「なんだかわかんないけど……ごめんね。憂はダイエット頑張ってるんだもんね」

 こくこく憂は頷く。

唯「……ごめんね」

 そんなことが、涙の理由なのか。

 そうだとしたら、憂のダイエットには、何か深い事情があるのだろう。

 その事情というのは、いったい何なんだ。

 ――憂の罪に関係のある事なんだろうか。

唯「……うい、今日は楽しかったから。もう帰ろっか」

 腕の中から、頷きが返ってきた。
161: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 23:10:38.95 ID:z1NbjpKpO

 憂の歩くスピードは遅く、マンションに戻ってくる頃にはすでに日が落ちていた。

 部屋にあがると、すぐ洗濯ものを畳んで片づける。

 憂はベッドに倒れ込み、脇腹を中指でトントン叩いていた。

唯「……憂、あのさ」

 音が立たないよう静かにベッドに腰掛けて、前髪を撫でる。

 私はぐっと唾を飲み込み、ささやくほどの小さな声で言った。

唯「なにがあったのか、教えてくれない?」

憂「……」

 憂が私の方に転がってきて、ベッドが軋みを立てた。

憂「笑わないで、聞いてくれる?」

唯「絶対笑わないから、教えて……」

 くしゃくしゃになった憂の顔を見て、笑えるよしなんてなかった。

憂「……あのことと、関係あるのかは分からないけど」

憂「わたし、友達がいないんだ。……ううん、一人しかいない」
163: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 23:14:56.26 ID:z1NbjpKpO

唯「……そうなんだ」

 これまでの憂の反応から、すこしは予想していたことだった。

 でも、それがどうしてダイエットと関わってくるんだろう。

唯「その、一人の友達って?」

憂「名前は鈴木純ちゃんっていうんだ」

唯「……うん」

憂「新しい学校でできた、唯一の友達……なのかな」

 服の背中がぎゅっと掴まれた。

憂「純ちゃんは私のこと、憂って呼んでくれて」

憂「私も純ちゃんのこと、純ちゃんって呼んでるんだけど……」

憂「けっこう前、聞いちゃったんだ」

 話がゆっくりと核心に近付いてきて、私は息が荒くなるのを抑えられない。
166: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 23:18:31.06 ID:z1NbjpKpO

唯「聞いたってのは……」

憂「……大したことじゃないんだ」

憂「純ちゃんが、他の仲の良い人たちと話してて、こう言ったの」

憂『それ言うんだったら、平沢もけっこう太ってるよ、あれ』

憂「……って」

 憂は私の服に顔を押し付ける。

 腰のあたりに、水濡れた感覚があった。

唯「友達をなくしたくなかったんだね」

憂「うん。……みんなの前では私のこと、平沢って言ってて」

憂「きっと私が太ってるから、みんなの前で私のことを友達みたいに言ってくれないんだって思って」

唯「……そっか。そう思っちゃうのは仕方ないよ」

 私は憂のそばに体を横たえて、抱きしめた。

唯「今まで、沢山なくしてきたから……もう何もなくしたくないもんね」
169: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 23:22:39.83 ID:z1NbjpKpO

憂「……っ」

 髪留めのリボンをするりと解き、さらさらの髪をぐしゃぐしゃに撫でてやった。

憂「お姉ちゃん、私ぃ……」

唯「……難しいな」

唯「その純ちゃんて子、仲良くしてくれてる? 普通に接してくれてる?」

憂「うん……多分。そう感じる」

唯「なら、きっと大丈夫だよ。憂の選んだ友達だもん」

憂「……私が?」

 憂はきょとんとした。

唯「そう、憂が。……でも、もし何かあったら、すぐお姉ちゃんに言ってね」

憂「……そうだね。そうする」

 私たちはそれからずっとくっつき合って、

 お腹が鳴るころにはもう、憂はにこにこ笑っていた。
171: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 23:26:10.98 ID:z1NbjpKpO

――――

憂「お姉ちゃん、ゴールデンウィークのことなんだけど」

 その夜、布団の中で、

 やけに切羽詰まった表情で憂は切り出した。

唯「ああ……うちに来るんだよね?」

 ゴールデンウィークはもう1週間後だけれど、私はすっかりそのつもりでいた。

 来週もまた憂に会える。今度はもっと長く、と。

憂「ううん、行かない」

 だから憂が否定するとは、まったく予想していなかった。

唯「へ? ……何で?」

憂「……寂しくなるから」

 憂の答えの意味がわからない。

唯「寂しいんだったら、なおさら」

憂「違うよっ」
172: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 23:30:52.51 ID:z1NbjpKpO

憂「……違うよ。お姉ちゃんといたら、その間はすごく嬉しいけど」

憂「そのあとが寂しくなるんだ。私の中だと、お姉ちゃんと一緒にいるのが当たり前になってて」

唯「うい……」

憂「私、やっとお姉ちゃんのいないことを受け入れられてきたんだ」

憂「だから……お姉ちゃんがいることをもう、当たり前にしたくない」

憂「別れる時が辛いから。別れた後が辛いから。ね」

唯「……」

 それは、憂にとっても辛い選択だったと思う。

 私だったら、そんな決断を下せたか分からない。

 いや。きっと下せない。私はもっと貪欲に憂の存在を欲しているから。

 私は、すこし自分を見直すべきなのかも知れなかった。

唯「……わかった。頻繁には会わないようにしよっか」

憂「ありがと、お姉ちゃん」
173: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/28(木) 23:34:07.65 ID:z1NbjpKpO

 私たちは夏休みが始まるまで、極力顔を合わせない事に決めた。

 そのかわり夏休みに入ったら、いっぱい遊ぶことにしようと。

唯「それじゃまたね」

憂「うん、バイバイお姉ちゃん」

 帰るときにも、なるべく別れを惜しむようなことはしないで、

 ちょっと出かけてくるかのように憂の家を発った。

 夏休みが始まるのは3ヵ月も後になる。1年の4分の1を、憂と会わずに過ごさなければならない。

 でもそれが、憂のためになるなら。

 どうにか悲しい気持ちを抑えることはできたように思う。

 がたがたと揺れる電車のせいで、窓の外の景色はゆらいで見えた。

唯「……」

 憂の街が遠くなり、知らない街や駅を抜けて、私は自分の街に帰ってきた。

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